インドビジネスがよく分かる中島敬二のインドコラム

インドと日本とのつながり

2013年11月17日

●極東国際軍事裁判でのパル判事
・戦争における個人責任を否定して、裁判の設置自体を疑問視。さらに「日本の侵略行為は共同謀議であることは立証されておらず、共同謀議はそれだけでは国際法上の犯罪ではない」と「日本無罪論」を展開

●1951年のサンフランシスコ講和会議において「外国軍の日本駐留継続」に反対して
調印を拒否。

インドは戦争賠償請求権を放棄(1952年日印平和条約締結-国交樹立

●インドの支援のお陰で1955年開催のバンドン会議(第1回アジア・アフリカ会議)に
日本参加が実現

ネルー首相から上野動物園へ小象インディラをプレゼント(1949年打ちひしがれていた日本人の心を慰めるため。<1983年49歳で死去>

・日本に到着してから上野動物園に入るが、国内からの要望に応え、東北と北海道、3,500キロを巡回し、敗戦で希望を失った日本人に喜びと潤いを与えた。

〇マッカーサーの時代、インド側の計らいで日本の若いスポーツ代表団がニューデリー
に迎えられたのみならず、ネルー首相の指示で、競技場に日の丸が揚がった。(戦後
外国の地で日の丸が揚がった最初)

日本製鉄業が戦後発展できたのはインドのお陰

・1950年代~1960年代にインドが大量の鉄鉱石を長期的に安定的に供給してくれた。
・戦前、新日鉄はインドのタタから鉄鋼技術を受けていた。
●日印首脳の相互訪問(岸首相の訪印、ネルー首相の訪日)
 
●1958年 日印通商条約締結
 
●1958年にはプラサド大統領の国賓としての訪日
日本の経済協力第1号として対印円借款を供与

●1960年 皇太子殿下(現天皇陛下)・同妃殿下のご訪印

●1961年 池田勇人首相訪印

●1984年 中曽根康弘首相訪印(23年ぶりの首相訪問)―インディラ・ガンジー首相が、「インディラ」の跡継ぎの象を贈ることを約束し、小象「アーシャー(希望)」
「ダヤー(慈悲)」の2頭が上野動物園に寄贈された。

●昭和天皇がお亡くなりになったときインド政府は全国で半旗を掲げ3日間喪に服し、政府関係の全てのパーティを中止した。インドとブータンのみ)

1990年 海部首相訪印
●1991インド経済危機の際、いち早く日本政府は経済援助を

・日本(当時:宮沢首相)はインドのデフォルト回避に貢献(現金で3億ドルの緊急支援、日銀は2000万ドルの借金返済を半年間繰越、その結果アジア開発銀行が5000万ドル支援し債務不履行を回避した)

・その時の大蔵大臣だったマンノハン・シン氏〈現首相〉は、その時の話をすると涙ぐむ。(彼は各国に謝辞を表明したとき、1カ国だけ日本の国名を挙げた)。

●1998年のインド核実験に対しては、新規ODAの凍結等の経済制裁を発動。

・インドはこれに対し、原爆被爆国の日本に理解を示し、素直に受け止めた。
・インド国防大臣室(当時)には、広島原爆の写真が掲げてある。

2000年8月に森首相の訪印。「グローバル・パートナーシップ」の構築が宣言された。
(中島はデリー商工会長として森首相をお迎えした)

2001年米国同時多発テロ後の米国の対印経済制裁解除に続いて日本解除を決定

●2001年12月バジパイ首相の訪日日印共同宣言

2003年1月には川口外務大臣の訪印で、経済制裁解除後、初の新規円借款供与を決定

2004年には日本、インド、ブラジル、ドイツの4カ国が国連安保理改革で連携を図ることに合意し、日印関係にまた新たな側面が加わった。
●2005年1月 谷垣財務大臣、中川経済産業大臣、竹中特命大臣の訪印 3月には
 森前総理、川口総理補佐官が訪印
●2005年4月 小泉首相訪印。中国に対抗するパートナーを求める日本は、インドとの
 「グローバル・パートナーシップ」を提唱
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●2006年8月 外務省にインド・パキスタン・アセアン担当の「南部アジア部」が新設。

JETROも、ニューデリーに企業進出の支援センター設置を決定。

 

2006年末マンモハン・シン首相(初)訪日

 

・「両国首脳による相互訪問を毎年実施する」ことの同意

・日本がかかる合意を与えたのはインドのみ、インドにとっても日本以外ではロシアのみ。

 

●麻生外務大臣の最初の訪問国はインド(2006年)
・経済連携協定(EPA)の可能性の真剣な検討で合意

 

●2007年8月 安倍首相訪印
・インド国会にての演説(インドは胡錦濤・中国国家主席や米国・ブッシュ大統領といった国賓級の国会演説を受け入れていなかった)は画期的。
・日本の首相はインド・パキスタン両国を訪問するのが慣例だったが、インドだけ訪問しインド重視の姿勢を打ち出した。

●2008年10月マンモハン・シン首相の訪日~
日印戦略的グローバル・パートナーシップの前進に関する共同声明
●2009年12月鳩山首相インド訪問~日印間の「安全保障協力に関する共同宣言
●2010年10月マンモハン・シン首相訪日~、経済連携協定(EPA)交渉の完了
 

・2005年に小泉総理が訪印して以来、これで6年間継続して両国首脳の相互訪問が実現。

・1947年のインド独立以来、2000年の森総理訪印までの半世紀間に同国を訪問した我が国総理は僅か5人、平均10年に一度の訪印であった。

●2011年2月26日「包括的経済連携協定(EPA)前原外務大臣とシャルマ商工大臣間で調印

2011年3月23日に日本・インド首脳電話会談シン首相、最大限の支援表明

・菅直人総理大臣とインドのマンモハン・シン首相は23日午後1時から、約15分、電話会談を行った。シン首相は「心からのお見舞いをお伝えしたい。日本にはインドのあらゆる資源を思うままに使って頂きたく、毛布やミネラル・ウォーターをお送りしているところであり、ほかに我々ができる支援があれば何でも言っていただきたい」と述べた。菅総理は、シン首相およびインド国民からの温かい見舞いの言葉、支援、連帯の姿勢と行動に謝意を述べた。在日インド人の状況についても緊密に連絡をとりたいとした上で、特に福島第一原子力発電所の状況について説明し、今後も正確な情報を迅速かつ最大限の透明性をもって提供していきたいと述べた。

2011年8月1日 日印の包括的経済連携協定(CEPA)、8月1日に発効

20119月6~7日「日印グローバル・パートナーシップ・サミット2011」が東京にて開催

20111227日 野田首相の訪印

201354日 麻生副総理の訪印

2013527日 マンモハン首相の訪日

 

2014125日 安倍首相の訪印予定(126日の建国記念日に主賓として出席)

◎日本・インド間のコメント:
*インドは中国と異なり日本と戦争がなかった。(日本軍はカルカッタを2回爆撃したが)
*インドは日本と同じ自由・民主主義・市場主義といった価値観を共有する大国
*インドの世論調査で最も人気の高い国は日本
*インドは日本にとって大切⇒中東へのシーレーン(マラッカ海峡などの海賊対策)
*国際会議でインド人を黙らせるのと日本人をしゃべらすのが二大課題だ。
*日本人は時間通りだが、インド人は時間にルーズ
*日本では雨が多いので晴れているのが良い天気だが、インドでは雨が少ないので曇りは良い天気。
*日本人は団体意識で動く(出る杭は打たれる)が、インド人は個人の個性を出す。
*日本人は名前だけでは出生は分からないがインド人は名前で宗教・カーストがわかることもある。
*日本では言語は一つだが、インドでは1652の言語と、22の公用語がある。
*日本は植民地を持っていた経験があるが、インドは植民地とされた経験がある
*日本人はきれい好きだが、インド人は気にしない。何でも神様が決めたもの。
*日本では掛け算は9X9までだがインドでは20X10まで(但し、一部)
*日本では恋愛結婚が大部分だが、インドではお見合い結婚が殆どである。